京都朝鮮学校襲撃事件刑事裁判高裁判決要旨


えー、なんとか第7回口頭弁論において提出された被告側第6書面についての論評を書こうと、この間考えていたのだが、正直、この被告第6書面の一つ一つに懇切丁寧に論評を加える事が馬鹿馬鹿しくなり筆が止まってしまっていた。
何回も読み返してはいたのだが、ただ一言、「何をどう理解せえと」というくらい無茶苦茶ですよという感想しか出てこないのだ。
被告らの手前勝手なロジックは簡単にいうと「総連支配下朝鮮学校勧進橋児童公園を不法占拠しており、被告らはその状態を糺すために抗議した」というもので、そのために「公園においてあるサッカーゴール、朝礼台を返却しただけ」、その上で「総連、朝鮮学校を悪魔化」し、「これは正当な政治活動で認められるべき」でそこで行われたヘイトスピーチさえも学校関係者との「応酬言論」であり、「事実に基づく公正な論評である」から認められるべきだというものである。
第8回口頭弁論においても上映された、あの12月4日の事件映像を見た人らはこの被告側の手前勝手な言い分を認める事ができるだろうか。筆者にはそう思えない。当然あの現場にいた原告らもそうだし、学校に子供らを通わせる父兄、原告関係者にとってこの言い分は到底認められるものではないだろう。


さて、去る10月28日大阪高裁において、朝鮮学校襲撃事件刑事裁判の控訴審判決が下された。この裁判は、京都地裁において行われた一審判決に対して、事件の被告である中谷辰一郎氏が再審査を求め行われたものであるが、9月16日の第一回公判で結審し、この日の判決となり、いわゆるスピード裁判といえるものだった。
実は、結審のその日に裁判長が「長くなりますので時間をとっといて下さい」と述べていたのだが、何のためにそんなに時間を取るのか筆者にはこの時さっぱりわからなかった。が、この事件の判決の日にそれが判明した。裁判長は判決文朗読に延々40分もの時間を要したのだ。しかもその判決内容は、中谷被告の抗弁内容を一つ一つ粉砕するだけではなく、一審判決を補強するどころか、事件をおこした人々らに対して、その自己都合丸出しの言い分に対する断罪を突きつけたものになったようだ。

以下、裁判を傍聴された方による判決文要旨。




【主文】
本件控訴を棄却する。

【理由】 
1 事実誤認の主張について
確かに、中谷については、事前に本件街宣の段取り等について告知を受けていなかったことが推認される。
しかしながら、
・2009年11月21日の総連京都本部での街宣では、本件街宣の予告をしていること
・本件街宣以前からの西村らの街宣の態様や回数
・中谷が、本件街宣時、西村、川東らの発言を聞き漏らしたとは考えられないし、調書でその発言について容認していたこと等からすれば、中谷に西村らとの共謀が認められ、侮辱罪が成立することは明らかである。
2 理由不備の主張について
・本件街宣は、抗議行動として許容されない態様のものであり、手段の正当性がないことは明らか。街宣の目的等、その余の事実について検討するまでもなく、違法性阻却されることはない。
・原審が個別言論について検討しなかったことは、解釈の問題に過ぎない。
・原審段階で、弁護人が侮辱罪についての刑法230条の2の類推適用等について主張していないのだから、原審が刑法230条の2についての判断をしなかったとしても、理由不備にはあたらない。
3 法令適用の誤りの主張について
・平日の昼間、学校に向かって、拡声器を用いての本件街宣は、憲法21条との関係でも許容されない。
・ 侮辱罪の保護法益は社会的名誉。よって、ある集団が名誉の帰属主体にあたるか否かは、当該集団に対する社会的評価で判断されなければならない。本件学校の 社会的評価からすれば、本件学校は名誉毀損の帰属主体たる集団にあたる。そして、本件学校と学校法人とが、同時に侮辱罪の被害者となることは、保護法益の 二重評価にはならない。
・本件街宣での発言は、本件学校及び学校法人に対する批判の中での発言であるから、当該発言が朝鮮人に対するものであるとの主張は認められない。
4 量刑不当の主張について
・本件の犯行態様は悪質であり、しかも、実際に本件学校に業務妨害の結果を生じさせただけではなく、子供や教員へも恐怖心を与えた。
・中谷の役割は大きく、いまだ街宣の正当性を主張していることからすれば、その反省が真摯であるとは評価できない。
・学校の違法行為を問題にするなら、法にのっとった行為をすれば良い。しかも、首謀者である西村は、京都市と学校とが話し合いの途上で、翌年の1月を目途に解決が図られる予定であることを認識していた。とすれば、被害者側の落ち度があったなどとは言えない。
・学校関係者の対応は、中谷らの行為が発端となっているのであって、本件街宣での発言が学校関係者らの挑発に対するものであるとは言えない。





まず、1については、どうも中谷被告は事件への関与の度合いが低い、またはよく知らないままに参加したというような弁護がされたと推測されるが、判決では丁重に例を持ち出し中谷被告の関与を他被告と同列において断罪している。

2では、決定的な事が述べられている。
「本件街宣は、抗議行動として許容されない態様のものであり、手段の正当性がないことは明らか。街宣の目的等、その余の事実について検討するまでもなく、違法性阻却されることはない」
これは現在進行中の民事裁判において、まさに被告書面が主張する、「政治活動の抗議であるから認められるべき」というものを木端微塵に砕いていると言っていい。被告らの行為は犯罪そのものであったという烙印を押したというべきか。

次の3も重要で、被告らのヘイトスピーチが学校と学校法人に向けたものであると認定している。民事における被告書面ではヘイトスピーチの対象を「朝鮮人」として対象の拡散、拡大化し、うやむやにしようとの組み立てがあったが、この判決では被告らのヘイトスピーチは、まさに、今、民事において原告となっている、学校法人、朝鮮学校そのものに投げかけられたものであると断定しているのだ。

最後の4はあらゆる意味で重要な部分で、「本件の犯行態様は悪質であり、しかも、実際に本件学校に業務妨害の結果を生じさせただけではなく、子供や教員へも恐怖心を与えた」
は、単に業務妨害という犯罪に留まらず「子供や教員へも恐怖心を与えた」とヘイトスピーチによる加害を匂わせたものとなり、被害判定の難しい「心」に対する加害責任というものを認めるものとなっている。
さらに「いまだ街宣の正当性を主張していることからすれば、その反省が真摯であるとは評価できない」として中谷被告への断罪を述べているが、これは事件に関与し、今、民事裁判で未だに抗弁する被告らに対しての評価に繋がるものといえる。
また「学校の違法行為を問題にするなら、法にのっとった行為をすれば良い。しかも、首謀者である西村は、京都市と学校とが話し合いの途上で、翌年の1月を目途に解決が図られる予定であることを認識していた。とすれば、被害者側の落ち度があったなどとは言えない」は、これこそ徳永弁護士が縋ろうとしている、「「元校長の略式起訴」をもって学校側が先に法を犯していて、それに抗議した」というロジックが粉々にされる個所である。つまり被害者側である朝鮮学校には事件に対する落ち度はまったくなく、ひたすら被告らの加害事実だけがあるとの認定である。強烈な一撃と言っていい。
さらに民事裁判で被告側が抗弁する、被告側のヘイトスピーチは学校関係者との売り言葉買い言葉の「応酬言論」というのも「学校関係者の対応は、中谷らの行為が発端となっているのであって、本件街宣での発言が学校関係者らの挑発に対するものであるとは言えない」と一蹴されている。これは中谷被告だけではなくあの事件に関わった加害者全員に述べられたものと言っていい。




まず言っておかねばいけないのは、同じ事件でも刑事と民事の判断が分かれる事はある。但し、今回のこの朝鮮学校嫌がらせ事件では、刑事においても民事においても被告側は徳永弁護士が係わり、裁判で出されるその論法はそう大差ないと見ていい。細かくいえば民事においては原告弁護団が次々に繰り出す準備書面に対抗するために、冒頭に述べたロジックでもってある程度対応しているに過ぎないといっていい。
しかし、それらが今回の高裁判決で当たり前のように尽く通用していないのだ。これは被告側に大打撃になっていると予想される。甘い夢から覚めたというとこか。
そういえば、第8回口頭弁論において、裁判長より「高裁判決文」の提出を求められていた被告側代理人は、どのような心境でこの判決文を提出するのだろう。


なお、この高裁判決文のより詳しい専門家による論評は、そのうち何処かで見られるようになると思われます。




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裁判所行った後は少し歩いて、少し甘めのタイ風焼きそばでウマー。