最高裁判決を受けて原告、弁護団のコメント

2010年9月に裁判がはじまった朝鮮学校嫌がらせ裁判の最高裁判決が今年度12月9日付けで出された。
被告在特会など側の上告却下である。これにより大阪高裁判決が確定した。

確定した判決は以下。
「薔薇、または陽だまりの猫」さんより。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/7e81a3afc7dce2827aeda19a7be2553e

高裁判決を分かり易く解説したものは以下。
在特会らによる朝鮮学校に対する襲撃事件裁判を支援する会(こるむ)作成」
https://drive.google.com/folderview?id=0B60d_nhxt-QfajloR24wNEVHLUk&usp=sharing


さて、この高裁判決が出た後、9月12日付けで被告在特会など側から上告受理申立理由書及び上告理由書が出されていた。この上告書が出されたわずか三か月もないうちの最高裁判決というのは、単純に「言うまでもない」という事だったのだろう。
詳しくは長くなるので割愛するが、被告らの上告の理由は人種差別撤廃条約に関する憲法解釈と被告らの行いはあくまで「政治的主張」だとするもので、何を言わんかなというものだった。
この一連の朝鮮学校襲撃事件の映像を見るだけで、この事件がヘイトクライムそのものであり人種差別である事は一目瞭然ではないか。そして、こんな判りやすい事件で人種差別認定が出なければこれは司法の危機であり国家の危機だとさえ言える。
しかし、一方で、この当然すぎるほど当然な判決を求めるのに5年以上の月日がかかり、その間、加害者らがずっと被害当事者らを疲弊させ苦しめ続けている現状とは何だろうと怒りを覚える。



以下、判決を受けての原告らのコメント。

学校法人京都朝鮮学園
最高裁決定を受けてのコメント
2014.12.10
京都地裁司法記者クラブ報道機関 各位
このたび、最高裁決定により高裁判決が維持されたことについて、在日朝鮮人の民族教育の実践と、そこで学ぶ子どもたちの安全を守ろうとする日本司法の毅然とした態度の表れとして歓迎いたします。
在日朝鮮人の70 年に及ぼうとする民族教育の歴史において、今回の判決は極めて大きな意義があります。歴史をふり返りますと、日本の公権は、今まで私たちの民族教育権を否定し続け、民族学校を弾圧し続けてきました。それゆえ、地裁の審理に始まる今回の裁判手続で、公権の一翼を担う裁判官たちが、公平な立場から、民族教育の実践に関する膨大な証拠資料を検討し、法廷証言を通して父母や教員たちの強い思いに触れたこと、 さらには、慎重な審理を経た結論として、在日朝鮮人が民族教育を行う利益を正当なものと認め、日本の法の下で保護される対象と判断したことは、私たちにとってはもちろんのこと、日本社会の歴史の上でも画期的な一歩であると評価しております。これから、京都のみならず全国において、朝鮮学校を守り、発展させる運動において重要な足がかりとなることが期待されます。
2009 年12 月から今日まで、私たち当事者にとっては、司法手続に対する期待と不安が交差する5 年の長い時が過ぎました。本件の一番の被害者は、学ぶ権利が侵された子どもたちです。子どもたちの明るい笑顔を取り戻すために、私たちは努めてまいりました。
今日、日本のみならず世界各国において、社会に横行するヘイトクライムヘイトスピーチに警鐘を鳴らす運動が広がりを見せています。私たちは、今回の最高裁判断を契機に、日本全国の朝鮮学校に通う児童・生徒が、朝鮮人の民族的誇りを育み、また社会の一員としての自覚を持った人材として成長していく学習環境を守っていくため、今まで以上に努力していく所存です。
在日朝鮮人に対する差別や偏見が根強くある中、正しい裁きをしてくださった裁判官たちに謝意と敬意を表します。
また、この間、子どもたちにあたたかく寄り添い、私たちの運動を力強く支援してくださった多くの皆さんに、心から感謝いたします。
以上




京都朝鮮第一初級学校・威力業務妨害事件
2014.12.10
学校法人京都朝鮮学園弁護団コメント

今般、最高裁決定により判決が確定したことは、京都の学校のみならず、日本全国の朝鮮学校で、明るく元気に学んでいる子どもたちの安心につながる。大阪高裁判決は、単に差別街宣の悪質性を論じるのみならず、民族教育を受ける利益の重要性にも言及し、差別に屈せず民族教育の充実に尽力している教職員、父母、その他関係者のみなさんを勇気づけてきた。今般、最高裁においても高裁判決が維持され確定したことは、大きな社会的意義を有するものである。
約5年の長きにわたる司法手続のなかで、父母や教員など学校当事者が大きな犠牲を払って、ようやく獲得された司法判断であることを忘れてはならない。動画上映によって事件当時の絶望感を思いだし、自らの心の傷を証言する辛さを感じ、そして、法廷においてさえも無反省な被告らのヘイトスピーチに晒され続ける二次被害を受け続けながらも、民族教育を守る一心で団結し、覚悟と決意により勝ち取られた高裁判決であった。
他方で、司法作用が、ヘイト被害からの回復に向けてできることには限界がある。ヘイト街宣がますます拡散・蔓延しつつある昨今、被害者は日本社会に対する不信を拭えず日々の安全に大きな不安に晒されているといえる。一連の司法判断は日本社会の姿勢を示すという観点で大きな一歩ではあるものの、被害救済として未だ十分とはいえない。今回の最高裁決定を受け、日本社会がヘイト街宣や差別の問題についてどのように対峙していくのか、私たち一人一人の行動が問われる段階となろう。また、本件の民事判決が注目を集めた背景には、これに先立つ刑事司法において、際だった機能不全があったことを忘れてはならない。警察の対応が被害の長期化、深刻化を招いたことについて、改めて十分な検証が行われる必要がある。
なお、「表現の自由」論については、最高裁判所も、被告らの「政治的表現であった」などとする弁明に惑わされることなく、人種差別という本件行為の本質を見据えた地裁・高裁判決を維持したものであり、今後の同種ヘイト事案における審理にも先例として影響を与えていくものと評価する。
民族教育の実践への理解と、ヘイトクライム被害の深刻さへの理解は、民族的自尊心の保護というキーワードで共通し、コインの表裏の関係にある。京都地裁判決、大阪高裁判決については、人種差別撤廃条約の適用も含めて世論・報道機関の圧倒的支持を受け、法律学の論文においても堅実な評価を得てきたものであるが、今回、最高裁においてもこの判断が維持されたことを受け、民族教育の取り組みを発展させ、人種差別を許さない社会を作っていく取り組みを一層加速させる効果が期待される。
以上



被害当事者らが当時そして最近までどのような被害を受けて、そして何を訴えているのかは「ルポ、朝鮮学校襲撃事件」に書かれているので一読をお勧めする。

「ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して」
http://urx2.nu/f75r



筆者がこの裁判で感じたのは、被告書面だけを読んだなら、それはそれは一見もっともらしく聞こえる言い訳の羅列だった。やれ政治的主張だ、やれ学校側に不始末があるから、やれ北朝鮮、総連だ。しかし、そんなものは全てデマであったり詭弁であったり自己都合であったり妄想であったり、当然のように裁判において何一つ認められていない。
被告らの言い分は、裁判と言う検証の場に出れば実に惨めなものであった。
ところが、驚くべき事にネットにおいてもリアルにおいても、加害者らはその事実を認めようとしていないのが現状である。彼らは止まらないのだ。そして被害当事者らはずっと傷ついている。
最高裁判決が出たとしても、この社会が被害当事者の痛みをなおざりにする限りこの国のヘイトクライムはなくなるどころか拡大していうとする予兆さえ感じる。

この判決が出る直前の12月7日京都にて、加害当事者(本裁判被告らも含む)らと呼べる人々が「勧進橋児童公園奪還行動5周年」なるデモが行われた。
警察は、司法による断罪を受けた事件の流れを組むこのヘイトクライムの蛮行をくい止める事はできなかった。そう、それは5年前の12月7日、小学校の校門前で犯罪行為を見ているだけの存在だった事を思い出す。
本判決の重要な点の一つは、こんなものは「表現の自由ではない」であり、あれは犯罪行為だと明確に述べている事だ。今後、これを行政、警察が現行法の犯罪として対処できなければ、ヘイトスピーチ規制法を生むしかない。

この最高裁判決の意義を生かすも殺すも、まさにこれからだ。