学校側第一準備書面  1 

学校側第一準備書面がやっと書き起こしができた。頂いた先は我らがブレノ氏のこれ。
「【民事訴訟】 朝鮮学校側から送られてきた、原告第1準備書面 流出!」
http://www.nicovideo.jp/watch/sm14252284
いつも、ありがとうブレノ氏。しかし、彼はこの書面の意味と価値がわかっているのかな?
恐らく彼を始めとして被告らは全員わかっていないのではないだろうか。その証拠に、被告側第一、第二書面に書かれていたのは、ブレノ氏がこの映像の中で流していたBGMでもわかるように、何処までいっても「北朝鮮による朝鮮学校」というイメージであり、表現の自由を履き違えた姑息な屁理屈であると言えるのではないだろうか。
さて、朝鮮学校いやがらせ事件の民事裁判において、この第一準備書面こそが最も核心的な訴えと言っていい。恐らく今後、前半部分は在日コリアンを対象にしたヘイトクライムを扱う裁判において何度も流用される基本的な骨格になるとさえ思われる。そういう意味では今回の裁判のみならず、資料的価値が高いものとも言える。
読者は是非、この学校側第一準備書面と被告側第一、第二準備書面と読み比べてほしい。

なお、長文なので3回にわけてエントリーさせていただく。
(5月20日訂正、区切りを考え4回にわけさせていただきます)







第1 はじめに

  本件においては、特に、民族教育権について、本邦における歴史的経緯や国際条約等も踏まえた正確な理解のもとで判断する必要性がある。本件請求の不法行為の要件との関係では、原告の民族教育権の侵害について理解することは、原告に生じた損害額の正当な評価を行うにあたっても不可欠となる。
民族教育の実施という原告の法人の目的そのものが害されていることから、高額の損害額を認容すべき事情が認められるのである。そこで、以下、まず民族教育権の意義について論じたうえで、その後に、損害を基礎づける主張を行うものとする。

第2民族教育(実施)権の意義について

本項では、民族教育(実施)権の定義、法的根拠、一般的な重要性、在日朝鮮人における特殊性を述べたうえで、本件学校における民族教育事業の実施状況について論述する。

1 民族教育権、民族教育実施権とは

民族教育を受ける権利、すなわち、民族教育権とは、自らの属する民族の言葉によってその文化・歴史を学ぶことにより、一個の人間として成長発達し、自己の人格を完成・実現する教育を受ける権利をいう。そして、その権利を実質的に保障するためには、教育機関において、民族教育が実施されなければならない。したがって、原告のような教育実施主体による民族教育を実施する権利(以下「民族教育実施権」という。)も、児童らの民族教育権と表裏一体のものである。
この民族教育実施権は、下記2においても述べる通り、憲法、国際人権法上も当然保障されるものであり、私人からも侵害されてはならないことは当然である。

2 民族教育権の法的根拠<
上記1(1)で述べた民族教育権は、憲法26条や経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約(以下「社会権規約」という。)13条をはじめとする諸規定によって認められるものである。以下、詳述する。

(1)憲法上の保障
本件で問題となっている権利は、国に施策を求める社会権的側面ではなく、第三者の侵害行為から、教育事業を妨害をされないという自由権的側面である。
まず前提として、憲法第三章による基本的人権の保障は、権利の性質上、日本国民のみを対象としていると解されるものを除き、我が国に在留する外国人に対しても等しく及ぶ(最判S53、10、4・民集32-7-1223)。また、内国法人の権利についても性質上可能な限り、憲法上の保障が及びうることは争いがない(最判S45.6,24・民集24-6-625)。
そして、教育を実施する自由は、後述の民族教育権の保障とあいまって、人格的生存に不可欠な権利として憲法13条において保障される。なかでもマイノリティの民族教育に関しては、後述するとおり、民族的アイデンティティの確立に不可欠であることからより厚い保護が与えられなければならない。
また、この権利は、教育を受ける権利の自由権的側面として憲法26条によっても同様に保障される。

(2)国際人権法上の保障<
 ア 「教育に対する権利」としての保障
世界人権宣言は、26条1項において、「すべての者は、教育についての権利を有する。」と定める。また、社会権規約13条1項は、「この規約の締約国は、教育についてのすべての者の複利を認める。締約国は、教育が人格の完成及び人格の尊厳についての意識の十分な発達を指向し並びに人権及び基本的自由の尊重を強化すべきことに同意する。」と定める。児童の権利に関する条約(以下「子どもの権利条約」という。)28条1項も、「締約国は、教育についての児童の権利を認めるものと」している。
以上のように、「教育に対する権利』(nght to educon)は、国際人権法上も明文規定される普遍的人権の一つである。しかもこの権利は、人権行使の前提条件であると同時に、他の人権を強化し、実質化する機能を備えており、その意味で、種々の人権の中でも最も基礎的かつ重要な権利の一つと位置づけられている。教育は人格の全面的発達及び人間の尊厳の確立に不可欠であり、教育に対する権利の承認と保障なしには自らの人権を認識することも十分に行使することもできないからである(宮崎繁樹編著「解説:国際人権規約日本評論社1996年85−|86頁)。
また、社会権規約は、13条3項において「この規約の締約国は、父母及び場合により法定保護者が、公の機関によって設置される学校以外の学校であって国によって定められ又は承認される最低限度の教育上の基準に適合するものを児童のために選択する自由並びに自己の信念に従って児童の宗教的及び道徳的教育を確保する自由を有することを尊重することを約束する。」と定めている。さらに、同条4項において「この条のいかなる規定も、個人及び団体が教育機関を設置し及び管理する自由を妨げるものと解してはならない。」と定めていること、また、子どもの権利条約が29条2項において「この条又は前条のいかなる規定も、個人及び団体が教育機関を設置し及び管理する自由を妨げるものと解してはならない。」と定めていることを踏まえれば、マイノリティが私立学校を設立・維持して、母(国)語教育・民族教育を行う権利を有することは明らかである。
したがって、外国人学校民族学校の民族教育実施権は、普遍的人権としての「教育に対する権利」の一部として、国際人権法上も保障されているというべきである。
イ マイノリティの権利としての民族教育
外国人学校民族学校が実施する母(国)語教育・民族教育は、普遍的人権としての「教育に対する権利」の一部であると同時に、民族的、宗教的、言語的マイノリティに属する人々の持つ権利であるといえる。つまり、全ての人に平等に保障されるべき人権としてだけではなく、マイノリティに特有な権利として二重に保護されるべき権利なのである。
市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「自由権規約」という。)27条は、「種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において、当該少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。」と規定する(同条の消極的文言が権利の存在を否定するものではないことについては、自由権規約委員会の一般的意見23(50)参照)。ここから、マイノリティに属する者の持つ権利としての民族教育権が導き出される。
マイノリティに付与される諸権利の中心は、集団的特性の維持と発展に関する文化享有権利である。簡単に言えば、マイノリティに属する個人が、自由に、しかもいかなる形態の差別もなしに、私的かつ公的に、集団の他の構成員とともに、自己の言語を使用し、文化を享有し、宗教を信仰・実践する権利である。権利は個人に帰属するが、集団の存続と社会的・経済的地位の向上、集団的特性の保持に関わる権利である以上、当然、集団的に行使することが認められる。
そして、母(国)語教育・民族教育は、マイノリティ集団がそのアイデンティティを維持して存続するために不可欠な営みであり、マイノリティの権利の重要な構成要素である。
子どもにとって、差別も制約も受けずに自由に母(国)語が使用できること、学習によって母(国)語の能力を伸張できる環境と条件を提供されることは、自己のアイデンティティに自信と誇りを持って生きることに直結している。母(国)語学習の機会を奪われることは、自己実現の可能性を阻害し、選択肢の拡大を妨げる。
子どもの権利条約も、子どもの教育が「児童の父母、児童の文化的同一性、言語及び価値観、児童の居住国及び出身国の国民的価値観並びに自己の文明と異なる文明に対する尊重を育成すること」を指向すべきことを謳い(29条1項(c)項)、「種族的、宗教的若しくは言語的少数民族又は原住民である者が存在する国において、当該少数民族に属し又は原住民である児童は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。」と規定する(30条)。
このようにマイノリティの権利という観点からしても、民族教育権及び民族教育実施権は、国際人権法上、保障されている。
ウ 小括
以上の通り、民族教育権及び民族教育実施権は、教育に対する権利という側面からも、マイノリティの権利という側面からも、国際人権法上、保障されるものである。
(筆者参照 市民的及び政治的権利に関する国際規約)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo8/gijiroku/020901hd.htm


(3)学校事業主体たる原告の民族教育実施権
よって、原告は、憲法及び国際人権法に基づき、民族教育実施権を保障されている。




3 民族教育が、個人の人格的生存に不可欠であること。
(1) 民族教育の重要性 〜 一般論として

ア はじめに
民族教育権が保障されることは、在日朝鮮人に限らず、あらゆる民族において重要である。現に日本においても、意識されていないだけで、マジョリテイたる日本民族による民族教育事業が行われている。

 イ 日本学校における民族教育事業
本の学校では、それが「民族教育」であるとして意識されているか否かにかかわらず、現に学習指導要領に基づいて実施される学校教育では、社会科や国語などのカリキュラムを通じて、日本民族の「民族教育」が施されているのは紛れもない事実である。
例えば、社会科の地理では、北は北海道から南は沖縄までを対象に、現在の国境を前提とした「日本」という地域について学習し、その結果、場所としてどこからどこまでが日本という国の領土であるのか、そのつながりを前提として、日本の地理を学ぶ。
また、社会科の歴史では、これもまた「日本」というひとつのまとまりをもった地域を対象に、石器時代縄文時代から現在までの時間の経過を眺めて、日本という国の成り立ちや経緯、文化の発展などの歴史を学ぶ。
さらに、国語の時間に日本語の勉強をするのは、日本語こそ、日本という国の言葉であるとみなされており、しかも日本に住んでいる子どもなら誰でも、大人になるまでにこの言葉を使えるようになる必要があると考えられているからにほかならない。日本語と言っても、地域によって方言によるアクセントや使う単語に違いがあらわれるが、国語の時間に勉強する日本語は、概してこのような違いをこえた「標準語」を前提としたものである。つまり、国語の時間を通じて、日本語というひとまとまりの言葉があること、そして、日本語という共通の言葉を読み、書き、話す人間たちは、日本という国の一員として同じであることを学んでいるのである。
日本国籍をもって日本社会で生活するかぎりにおいて、自分が日本人であることを疑わず、日本という国のまとまりがあること、その国民であることに何の疑問も持たず暮らしている日本人が圧倒的多数であろう。しかし、その圧倒的多数の日本人は、上述した民族教育を施され、「日本」及び「日本人」というまとまりについて学んでいくことによって、日本人としてのアイデンティティを確立していくのである。

ウ 在外教育施設による日本の民族教育事業
日本の国際的諸活動の進展に伴い、多くの日本人がその子どもを海外に帯同している。平成21年4月15日現在、約6.1万人の義務教育段階の日本人の子どもが海外で生活している。
海外各地には、海外に在留する日本人の子どものために、学校教育法に規定する学校における教育に準じた教育を実施することを主たる目的として在外教育施設(日本人学校、補習授業校、私立在外教育施設)が設置されている。また、文部科学省と外務省は、これらの在外教育施設と連携・協力して、憲法の定める教育の機会均等及び義務教育無償の精神に沿って、海外子女教育の振興のために様々な施策を講じているところである。このように、日本の主権の及ばない外国においても、日本人の子どもたちが、日本国民にふさわしい教育を受けやすくするための民族教育事業が広く行われているのである。
特に、在外教育施設のうち日本人学校は、国内の小学校又は中学校における教育と同等の教育を行うことを目的とする全日制の教育施設であり、文部科学大臣から国内の小学校又は中学校の課程と同等の教育課程を有する旨の認定を受けている。その教育課程は、原則的に国内の学習指導要領等の定めるところによる(文部科学省ホームページ「CLARINET」http//www.mext.go.jp/a menu/shotou/clarinet/main7 a2htm参照)。
このように、海外に在留する日本人の子どもたちの多くは、言語も文化・習慣も異なる海外の地にあっても、充実した「民族教育」を施されることにより、「日本」及び「日本人」というまとまりについて学んでいくことによって、外国人社会の中で日本人としてのアイデンティティを確立することができる。

エ 民族教育事業の意義
民族教育事業によって「日本人を育てる」あるいは「朝鮮人を育てる」ということは、偏狭な凝り固まったナショナリズムを培養するということと決してイコールではない。
日本人の子どもが日本社会で生活する限りにおいては、周囲の圧倒的多数も日本人なのであるから、他者との言語や文化・習慣の違いなどから、自己の出自や存在について根本的な疑問を抱く場面はそう多くはない。
しかし、海外で生活する日本人の子どもは、現地社会においては圧倒的なマイノリティなのであるから、適切な民族教育が施されていなければ、「周囲の人たちと違うこと」に対する疑問に悩まされるとともに、日本に対する帰属的意識も不明確なまま、そのアイデンティティの確立が阻害されることになりかねない。その成長過程において、自らの出自や言語、文化・習慣等と正面から向き合いながら自己を肯定的に築く作業は、民族を間わず重要である。
子どもたちが一人の人間としてのアイデンティティを確立させていくことなど、個人の人格的生存にとって、民族教育事業は必要不可欠なものである。
オ 日本社会における在日外国人による民族教育事業の意義
こうした民族教育事業は、ただ当該民族の子どもたちにとってのみ有意義なものと言うにとどまらない。マイノリティによる民族教育事業が実践され、それが当該地域の社会に根付き可視化されることによって、当該社会におけるマジョリティは、マイノリティの存在を意識せざるを得ない。そこから、民族的な違いを前提とした相互理解が促進されれば、国際化・多文化共生の時代に相応しい健全で豊かな国際感覚がマジョリティの中でも形成されることになるのである。
したがって、日本社会が、在日外国人による民族教育事業を受け入れるとともに、その事業と積極的に関わることは、日本社会において健全で豊かな国際感覚を形成することに寄与するものであり、その点でも民族教育事業は意義を有するものである。
現に、例えば、京都市教育委員会は、定期的に「民族の文化にふれる集いjを開催している。この集いの趣旨は、京都市のHPに以下のとおり、示されている。

京都の公立学校には、多くの在日韓国・朝鮮人児童・生徒が、日本人児童・生徒とともに学んでいます。また、市内にある京都国際学園京都朝鮮学園民族学校)においても、多くの在日韓国・朝鮮人児童・生徒が学んでいます。京都市では、平成4年(1992年)に、「京都市立学校外国人教育方針一主として在日韓国・朝鮮人に対する民族差別をなくす教育の推進について−」を策定し、「すべての児童・生徒に、民族や国籍の違いを認め、相互の主体性を尊重し、共に生きる国際協調の精神を養う」ことを目指し取組を進めています。

「民族の文化にふれる集い」は、京都市内の学校の取組の発表や演技などを通して、その交流を深めていくことを祈念して開催するものです。また、この催しを通し、多くの方が、豊かな韓国・朝鮮の文化・芸術・生活術等にふれ、隣国のすばらしい文化に対する正しい認識を深めるとともに、古くから深い交流のあった、互いの民族や国の文化・伝統の多様性やちがいを知ることで、それぞれを価値あるものとして認め合い、尊重していく機会となることを願っています。」
このほかにも、東九条マダンのような市民のレベルでの交流も定期的にかつ盛大に行われており、京都市京都市教育委員会も後援している。

(2)民族教育の重要性 〜 在日朝鮮人における特別の重要性
以上のように、民族教育は、コリアンだけではなく、他の多くの民族にとっても必須のものであるが、特に歴史的経緯から在日朝鮮人にとっては特別の重要性を有する。以下、歴史的経緯を確認したうえで、こうした重要性について論じる。
ア 朝鮮半島における戦前の皇民化政策(言語と氏名の剥奪)
  (ア)第一次朝鮮教育令
日本は、1910年、大韓帝国との「日韓併合条約」により、朝鮮を完全な植民地とした。以後、日本は、朝鮮総督府統治下で、植民地政策を行うようになる。
911年8月には、朝鮮教育令を出しており(明治44年(1910年)勅令第229号)この中で朝鮮における朝鮮人の教育を本法令によるとしている(第一章 綱領 第一条 朝鮮ニ於ケル朝鮮人ノ教育ハ本音ニ依ル)。そして、第2条において、教育は、教育に関する勅語の旨趣に基づき忠良なる国民を育成することを目的とし(第二条教育ハ教育ニ関スル勅語ノ旨趣ニ基キ忠良ナル国民ヲ育成スルコトヲ本義トス)第5条において、普通教育の目的を特に国民としての性格を涵養し国語の普及を目的とするとしている(第五条 普通教育ハ普通ノ知識技能ヲ授ケ特ニ国民タルノ性格ヲ涵養シ国語ヲ普及スルコトヲ目的トス 第二章 学校 第八条 普通学校ハ児童ニ国民教育ノ基礎タル普通教育ヲ為ス所ニシテ身体ノ発達ニ留意シ国語ヲ教へ徳育ヲ施シ国民タルノ性格ヲ養成シ其ノ生活ニ必須ナル知識技能ヲ授ク等)。
ここで、国語とは日本語のことであり、朝鮮語および漢文の時授業以外は日本語による教育を強制したのである。日本の植民地政策において、公教育において日本語を普及することがこれは必然的に朝鮮民族固有の言葉を奪うこととなるのである)、重要な課題となったことは論を待たない。そして、朝鮮総督府は公教育のみならず、「国語講習所」などを通して「国語」の普及を行ったのである。民族としての言語を奪うものとなっている。
(イ)第二次朝鮮教育令
その後、第二次朝鮮教育令(大正11年(1922年)勅令第19号)では、普通教育において、日本人の「小学校」と朝鮮人の「公学校」を区別し、(第二条 第1項 国語ヲ常用スル孝ノ普通教育ハ小学校令、中学校令及高等女学校令ニ依ル但シ此等ノ勅今中文部大臣ノ職務ハ朝鮮総督之ヲ行フ 第三条 国語ヲ常用セサル孝ニ普通教育ヲ為ス学校ハ普通学校、高等普通学校及女子高等普通学校トス)とした。そして、普通学校の目的を国語の習得と国民としての性格の涵養(第四条 普通学校ハ児童ノ身体ノ発達ニ留意シテ之ニ徳育ヲ施シ生活ニ必須ナル普通ノ知識技能ヲ校ケ国民タルノ性格ヲ涵養シ国語ヲ習得セシムルコトヲ目的トス)高等普通学校および女子高等普通学校の目的の一つとして国語の熟達せしむること(第六条 高等普通学校ハ男生徒ノ身体ノ発達ニ留意シテ之ニ徳育ヲ施シ生活ニ有用ナル普通ノ知識技能ヲ授ケ国民タルノ性格ヲ養成シ国語ニ熟達セシムルコトヲ目的トス 第八条 女子高等普通学校ハ女生徒ノ身体ノ発追及婦徳ノ涵養ニ留意シテ之ニ徳育ヲ施シ生活ニ有用ナル普通ノ知識技能ヲ授ケ国民タルノ性格ヲ養成シ国語ニ熟達セシムルコトヲ目的トス)とした。

(ウ)第三次朝鮮教育令
1924年には、第三次朝鮮教育令(昭和13年(1924年)勅令第1 0 3号)が出され、普通教育は、小学校令、中学校令および高等女学校令によるとして、日本と同様の教育がなされ朝鮮語の授業は廃止されたのである。(第二条 普通教育ハ小学校令、中学校合及高等女学校令ニ依ル但シ此等ノ勅令中文部大臣ノ職務ハ朝鮮総督之ヲ行フ 附則2 本令施行ノ際現ニ朝鮮二存スル普通学校、高等普通学校及女子高等普通学校ハ各之ヲ本音ニ依リ設立シタル小学校、中学校及高等女学校トス)
このように、朝鮮半島を植民地化した日本は徹底した日本語教育を行い、植民地支配の手段としたのである。このことは同時に、日本語が優れた言葉、朝解語は劣った言葉、そして、日本語を使用する民族が優れた民族、朝解語を話す民族は劣った民族という社会通念を生み出したものである。これは、植民地支配および皇民化政策の結果であった。

(エ)創氏改名
さらに、日本は、1939年11月に朝鮮民事令を改正し、朝鮮固有の姓名を日本式に変更する創氏改名が実施された。この狙いは、新たに「氏」を創設し従来の朝鮮の同族関係を切断し個々人を直接中央政府が掌握管理することにあった。姓を変えることは人間としての尊厳にもかかることである。創氏改名は「宗主国」である日本に対して従順であることの踏み絵となったため、多くの朝鮮人がこれに応じざるを得なかったのである。
創氏改名」と「国語(日本語)の常用」は、日本の植民地に対する「皇民化政策」の大きな柱となっており、それは同時に朝鮮民族の固有の文化を徹底して破壊する過程であった。

イ 戦前の日本における在日朝鮮人の形成と状況
 (ア)日本における在日人口の形成
朝鮮半島皇民化政策がなされると同時に、多くの朝鮮人が日本の過酷な植民地政策のため、日本に渡航せざるを得なかった。
第1は日本が朝鮮半島で行った「土地調査事業」の実施によってである。これは、土地の所有を実際の耕作者でなく申告したものに認めるという制度であったため、日本への反発心や税金がかかるのを恐れて申告しなかったり、名義を偽って申告されたりしたものが多数あり、その結果、多くの農民が土地を失うこととなったのである。
他方で日本では1914年からの第1次世界大戦の戦勝国になり急激に産業化を進め大量の労働力を必要としていた。そのため朝鮮において労働力を募集するようになったのである。これが、今日の在日韓国・朝鮮人の形成の端緒である。
その後、日本は、戦線の拡大とともに、1938年には、国家総動員法を制定、翌1939年には国民徴用令が施行された。国民徴用令は、朝鮮半島には直接適用されなかったが、内務省・厚生省次官通牒「朝鮮人労働者内地移住に関する件」により朝鮮入を労働力として強制的に日本への移入をはかったのである。
(イ)皇民化の過程
日本に渡来した朝鮮人は、日本では、当然、朝解語の教育を受けたことはなかった。
1920年代には、幼少時に両親とともに日本に渡ってきた子供、また日本生まれの子供が学齢期に達していたが「外他人子弟」として教育対策上は放置されてきた。1930年代には、「内地朝鮮入は、小学校令第32条により学齢児童を就学せしめる義務を負うものとす。」として日本人の学校での義務教育を奨励したのである。そして、1939年には、大東亜共栄圈の体制作りの一環として、在日朝鮮入に対して「内鮮一体」のかけ声の下で積極的な同化政策を推し進めたのである。このなかで、皇民化教育は在日朝鮮人の子供の朝鮮人としての意識を払拭し、日本による戦争への積極的な動員を目的としていた。また、創氏改名の圧力も日本人教師を通して系統的に行われたのである。
このように、朝鮮人の子供は、日本の植民地政策、皇民化政策により自己の民族性を否定され続けてきたのである。

ウ 戦後の朝鮮学校を巡る状況
 (ア)終戦後の在日の状況
1945年、日本が終戦(朝鮮解放)を迎えた時期には、在日朝鮮人は、約210万人にものばった。この直後から、在日朝鮮人の本国ヘの帰還が始まった。 GHQの指示により日本政府が朝鮮人の「計画送還」に着手する1946年4月までにすでに140万人の在日朝鮮人が本
国に帰還したとされる。その後、「計画送還」による実際の帰選者は、約8万3000人であり、約56万人の朝鮮人は引き続き日本にとどまった。 1930年代に日本で生活を開始した在日朝鮮人は、すでに日本の中に生活圏を築いており、このような在日朝鮮人の多くは日本に留まることとなったのである。
(イ)朝鮮学校の建設
1945年に結成された在日朝鮮人連盟は、1946年から朝鮮人学校の建設にとりかかった。このときの学校建設のスローガンは「金のあるものは金を、力のあるものは力を、知識のあるものは知識を」提供し合うというものであった。これは、在日朝鮮人にとっては、皇民化政策によって奪われた言語・文化・歴史等を回復するための不可欠のものとして認識されていたからである。その意味で、一般的な民族教育権にはない特殊性がある。
1947年1月の「教育綱領」は、「1 半恒久的な教育政策を立てよう」「2 教育施設の充実と教育内容の民主化を徹底して遂行しよう」「日本の民主的な教育者と積極的に提携交渡しよう」というものであった。1947年10月には小中高校をあわせて556校、生徒数6万80人、教師1万404人という発展をみたのである。
(ウ)日本政府による弾圧
ところが、1948年1月、文部省は各都道府県知事宛に「朝鮮人子弟であっても、学齢に該当するものは、日本人同様、市町村立又は私立の小学校又は中学校に修学させなければならない。」との通達を出した。終戦直後から、在日朝鮮人団体は、戦前の皇民化教育で損なわれた民族的なアイデンティティを回復・継承するための民族教育を行っていたが、再度、日本国とGHQによりこの権利が危機にさらされたのである。そして、日本政府は、朝鮮人学校閉鎖命令を出し、これに反対する朝鮮人との衝突が各地で発生した。この反対運動が激烈に戦われたのは神戸と大阪の阪神地域であった。
大阪では1948年4月26日、学校閉鎖に抗議する3万人規模の集会とデモに対して警察が発砲し、当時16歳の金太一(キムテイル)が死亡、27人が負傷した。同年5月5日に、朝鮮人教育対策委員会と文部省は①朝鮮人教育は教育基本法、学校教育法に従う②朝鮮人学校は私立学校として自主性が認められる範囲内で朝鮮人独自の教育を行うことを前提に私立学校としての認可を申請するとの覚え書きを交わし、混乱は収束に向かった。そして、この後、民族学校は公立学校の分校として存続したり、閉鎖して日本学校内の民族学級となるなど、様々な形に方向が分かれたのである。この弾圧の結果、何らかの民族教育を受けられる子弟は2万人に激減したのである。
(ェ)サンフランシスコ講和条約以降
1952年4月、サンフランシスコ講和条約が発効した。これに際し、法務府民事局長通達により、在日朝鮮人は、一方的に日本国籍を剥奪され、外国人とされた。
1955年2月に在日本朝鮮人総聯合会朝鮮総聯)が結成され、新たな民族学校建設運動が展開され、1966年には初級学校から大学校まで含め142校、学生数3万4388人にまで成長した。
しかし、朝鮮学校では朝解語による普通教育を行っているにもかかわらず、学校教育法第1条に定める学校ではないことを理由として種々の不利益を被ってきた。例えば、全国高等体育連盟主催の大会参加資格、JRの通学定期運賃の割引率、朝鮮高級学校の大学受験資格などの問題があったが、粘り強い運動により一定の是正がみられた。
これらの差別的取扱も一面において、同化の強要の一端を担ってきたものである。




本日のグルメレポート
大阪は中央大通り森の宮から緑橋の間にある、うどん屋さん「ぺこぺこ」。
少しお高いけど、その味と量は文句なし。ここは是非死ぬまでに一度は行くべし。
美味しゅうございました。