京都・徳島襲撃事件刑事第二回公判傍聴記 3

2に引き続き西村斉氏の冒頭陳述続きから。
徳島県教祖に出向くきっかけは産経新聞の記事と産経のあびる記者プログと義家議員の国会答弁だ。産経新聞ではあしなが育英会の名を語り募金を集め朝鮮学校に寄付をした。あびる記者のプログでは産経記事をもっと深くとりあげ、過去に遡って日教組のカンパ問題が書いてあり徳島のカンパ問題につなげてわかりやすく書いていた。義家議員の質問は日教組の行っている事は政治的カンパではないか。マネーロンダリング。調査として日教組のHPも見たし、メールで質問も出した。帰ってこなかったが。山梨の日教組のカンパの件も調べた。4月初めにあしなが育英ハウスに電話をして、新聞記事は正しいのかと尋ねたところ事実としたら遺憾であると、名義も日教組に貸していない。東京であしなが育英会日教組の合同で一回だけ募金活動をした事がある。その時におかしいぞという印象をもったのでそれ以降は行っていないと言われた。何故徳島県教組に行ったかと言えば、朝鮮学校にお金が流れたからだ。それは朝鮮新報で知った。日本崩壊を目論む朝鮮総連傘下の朝鮮学校に流れたと。それが何処に流れるかと言えば恐らく北朝鮮に流れるかも知れない。事件当日は車2台と電車で集合は立花駅でした。その時に15人いた。募金詐欺に対する抗議が目的。在特会のHPに告知した。在特会の徳島の人間に道路使用許可を取ってくれて依頼。勘違いかもしれない。結果的にとっていなかった。通行の邪魔になっていなかったのでOKかなと。建物の前で抗議文を読み上げて1時間で撤収するつもりだった。何故建物の中に入ったかと言えば、演説中に建物の中からあっち行けと追い払うようなしぐさの女性の人影が見えたので直接喋ろうとして建物の中に入った。人影は消えたがそのまま受付に行き、日教組の事を聞いたら受付の人が苦笑いをしながらVサインを示したので二階に案内されたと思った。警察は100%監視していた。今までの経験上そうだ。警察はただ見ていただけ。立花駅から兵庫県の公安が二人ずっと付いていた。徳島へ行く途中の高速PAで「あまり無茶せんといてな」と言われた。公安は建物外のガレージ付近にいて監視していた。
一旦休憩に入る。
以下、西村斉氏冒頭陳述再開。
ここで担当弁護士はここで西村斉氏が事件後に京都市南警察に提出しようとした告発状なるものにふれ、そのまま朝鮮学校建物と土地の登記謄本による権利関係の話となる。西村斉氏によれば朝鮮学校元教師の暴露本で総連の使途不明金等に注目。学校の土地建物を担保とした金銭のやり取りを調べようとしたようだ。これは事件後、ネットを通じて自分達への評価が子供を虐めたとなっている事への対抗措置であったようだ。
その謄本には根抵当権等の権利関係はあったが、それを読みあげただけであった。
西村斉氏とすれば、朝鮮学校にしても日教組にしても女子供を善人化してきてそれで思考停止になる。この謄本を上げて真実を訴えられればなというとこであったようだ。
しかし素人が謄本一つで金銭の流れを理解できるわけでもなく、これ以上の話もなく担当弁護士としては政治的主張の一貫性を見せたというとこだろうか。
続いてまたまた徳島での建物侵入の経緯を西村斉氏が担当弁護人と問答を交わした。徳島の教育会館に入った後、受付に2階と案内された時はびっくりした。今までの経験上あり得ない反応だったからだ。普通は中にいれずに抗議文を渡すというのが普通で、こんな機会はないので直接抗議をぶつけようと思った。部屋の中の人が入るなという意思表示もなかった。
ここで再び部屋乱入後に西村斉氏が公訴事実の中のどれを言ったかの確認がなされた。
この中で「政治活動をする日教組を叩き出せ」という発言を自らのものとして、その意味を、日教組は歴代委員長が北朝鮮から勲章をもらっていて北朝鮮式の教育を日本の子供達にしている。それをなんとかしたかった。15分くらい中にいた。その時間の基準は荒巻氏がタイムキーパの役目をやり調整していた。今までも警察官とか責任者とのぎりぎりの範囲での調整をしてもらっていた。今回もそうで、部屋に侵入後7分もしたら警察が入ってきており、荒巻氏が警察と打ち合わせをしていた。そして引き上げの合図があり引き上げた。
ここで担当弁護人はH被告が動きの中で警察がいたかどうかをしつこく聞いてきた。さらに映像を元にした多数の証拠写真を取り出し、そこに警察官がいる事をいちいち確認していく。また警察がA氏と交渉事をしていたという話を繰り返した。

これはとりもなおさず、警察がそばにいながら現行犯逮捕がなく、警察監視下の中での出来事であったという強調であると思う。つまり逮捕までいたらない政治活動であったとの証明というとこだろう。これはこれで有効な手であるかもしれない。ことここにいたると警察の不手際を指摘されも仕方ないだろう。

さらに西村斉氏は最後に日教組襲撃に対して、これは直接の抗議の機会であった。純粋な日本人と言うか、警察官、自衛隊の子供らを差別して虐める日教組になんの業務があるのか。と言い放った。
そして今までは問題提議が目標だったが、今後の活動については今は言えないが計画も段取りもしている。180度今までとイメージを変えてイメチェンをする。外から見て犯罪と目されるような活動はもうしない。と結んだ。

続いて荒巻氏の冒頭陳述があり、担当の鈴木弁護士とのやりとりがあったのだが、時間切れでどうも担当弁護士の狙いというのがわからなかった。身上として、父親の兄弟らが戦地に赴き戦士もし、また武勇伝も聞かされ幼い頃は父を尊敬していたと。ただ、長ずるにつれパンクバンドに走りミュージシャンを目指していたそうだ。それから飲食業の道に入り自らがいうとこの拝金主義に走ったが、上海で日本人をバカにする人々に会い、そらからは舐められない日本にしなければならないと、右翼ではない市民団体である在特会に入会したという活動にいたる経歴が披露された。そしてここでタイムアップ。ああ、そうですかというとこか。

最後に次回公判は2月17日(木曜日)開廷13時半という宣言がなされ終了した。



うーーん。正直今回の公判は今後の弁護の方向性が見えた感じでいろいろ注目される流れが見えた。被告らと担当弁護士らは徹底的に政治的抗議であったといろいろな主張の補強をしようとしてる風に見える。ただ、悲しいのが特に渡辺弁護士で、なんとか西村斉氏の政治姿勢、政治主張の補強を行おうとしているのだが、西村斉氏がそれらをことごとくひっくり返すような発言をしているのに戸惑っているようにも見えた。職業倫理として皮肉ではなくご立派だと思うのだが、これがなんとも・・。ただ、唯一警察の対応は有効点に成りえるかもしれないので、この点、警察は大いに批判されても仕方ないと思う。
次回予想として、残りの川東氏の冒頭陳述の後に検察の出番になると思われる。



裁判所東方向すぐのイタリア料理屋お昼のランチおいしゅうございました。

しかし、「仕事しろ>俺が」裁判日程が短くなり「仕事できない>俺」になるのはまだしも、どうもそのうちタイトルが「仕事やめる?>俺」になる予感が・・・。