在特連中が叫ぶ4つの言葉

在特会及び周辺にいる連中に心底呆れてしまう言葉が4つある。一つは「シナ」「チョン」と差別用語を平気で言ってのけるその神経だ。「シナ」は戦時中以前より中国を侮蔑するため使用される事があり、当の中国が侮蔑語であると認定しているのだ。チャイナの語源がどうこうという次元の話ではない。在特連中は「バカ」と呼ばれたら怒らないのだろうか。そしてそう呼ばないでくれと言ったとこで「バカ」と言われるならいやに決まっているだろう。人がいやがる事をするのが差別だという事に頭が及ばないのか。そして「チョン」は言うまでもなく差別用語である。前にも言ったが逃れようもない出自をもって人を侮蔑するのは下種であり差別以外の何者でもない。国と人種をもって愚弄するいわれは決してない。「日本」と「日本人」がそうであるように。ちなみに在特連中がバカだというのに私は何のためらいもない。何故なら差別用語を平気で使い人の痛みを想像しえないその神経はバカというしかないからだ。

二つ目に呆れるのは「在日認定」と言うものだ。連中は敵だと思えば全て「在日」に結び付ける。連中に反論する者は在日だと切り捨てる。反論者を調べる事も裏取りもせずにいきなりだ。そこに科学的根拠は一切存在しない。それはデマ・嘘を撒き散らしていると同義ではないか。これを連中が本気で言っているのだとしたらどれ程自分が恥ずべき事を言っているのか知るべきだ。自分は嘘つきで恥知らずであると公言し、自らの信用を失墜させる言動を繰り返しているのだ。このような連中を一体誰が信用するのだろう。また、もしデマだと判っていてそれでも「在日認定」をしているとしても、それは連中の内輪でしか理解されない感覚でとても社会で通用する論理ではない。自分達は底なしのデマを振り撒く妄想集団としか人は見てくれないだろう。

三つ目に呆れるのは「反日」という言葉だ。連中はこれを頻繁に使う。自分達の意に沿わない行為は全て「反日」だと言う。これも度し難い感性と言わざるえない。だいたい反日かそうでないか誰が決めるのだ?連中が自分達の評価基準で勝手に決めて勝手に反日だと騒いでいるだけではないか。そこには客観性をもって大衆に判断を委ねる価値感はこれっぽっちも存在しない。連中が反日だと叫ぶたびに自分達は孤立したバカの群れですよと訴えているように聞こえる。

最後に呆れるのは「日本人の怒り」という奴だ。これを聞くたびにお前何様?とそれを言う神経が不思議で仕方ない。連中は日本人の代表なのか?日本の代弁者なのか?何か投票でもあってそれに当選したのか?そんな話は聞いた事がない。臆面もなく日本人の代表面をするその図太さにあいた口が塞がらない。これは先にあげた「反日」基準と一緒で、連中の街宣を見ると自分たちを日本人総体の代表者のような口ぶりで怒鳴り散らしている。なんという誇大妄想癖だろう。
これは連中以外のその他大勢の日本人、いや日本社会が怒っていい事だと思う。自分達の意見、心情でもない事柄を、連中はさも日本人総体の意見のようにふるまっているのだ。そしてそれは外国から見て日本人そのものが誤解される種を飛ばしている事に怒るべきだと思う。こんな連中と一緒にするなと。


追記
「シナ」という呼称が差別用語と言えるのかというはてぶがついたのでいっておきたい。
私は「チャイナの語源がどうこうという次元の話ではない。」と書いているのだ。
中華人民共和国というのが正式な国名であり縮めて「中国」だ。万国共通としては「チャイナ」である。これは中国がそう呼んでほしいと言っているのだ。そして中国は「シナ」という呼称で呼ばれる事を侮蔑であるとも言っているのだ。
それなのに何故あえて「シナ」と呼ぶのだ?そう呼んでいる連中は誰なのだ?
わかるだろうか。これは語源の次元の問題ではない。
単純な話だ。
本人がいやがる事をやるのが差別に繋がっているのだ。
そして「シナ」とあえて呼ぶ事の意図を捕らえたときにそれは差別用語だと言っているのだ。

しかし、ネットで検索すると、ネットde真実なページの多い事に驚いた。しかも「支那」ではなく「シナ」というカタカナ表記なら中国はいいといってるとかという情報がある。うん?これって固有名詞になっているのは拘らないという中国側の話ではないのか?どうもトリミング臭いな。こりゃ図書館いって調べにゃならんかな〜。