第12回口頭弁論原告側冒頭陳述

まず、原告側冒頭陳述は2点ある。最初の1は、被告らの悪質性と民族教育の重要性とその損害を述べたものである。2は被告らがレイシズムゆえに事件を引き起こしたものとしている。どちらも今後の立証計画を述べたものである。
さらに言えば、これは原告第一準備書面、第二準備書面で述べられた民族教育の人格権と、人種差別事件として認定を司法に求めた訴えを推し進めたものと思われる。これこそ原告の訴えの根幹をなすものであり、広く世に問う事の意味と価値があるものと筆者は考える。
そして、これを基に原告側は今までもそうであったが、今後も、証人尋問において、書面において、証拠物にわたるまで、これを裁判で立証する運びとなる。

なお、証人氏名の伏せ字は原文ママ、人物紹介は筆者の責でおこなっている。





原告・冒頭陳述1

原告が、証人等により証明しようとする事実は以下のとおりである。
1 被告ら本人及び代表者尋問により証明する事実(悪質性)
被告らの本人尋問及び被告代表者である証人■(在特会会長)の尋問により、立証すべき事実は以下のとおりである。

被告らは、平成21年12月4日、平成22年1月14日、平成22年3月28日の3回にわたり、朝鮮第一初級学校の近辺に押し掛け、違法な街宣活動を行った。
平成22年12月4日は、学校の門前で大音響でのヘイトスピーチを行って、著しい恐怖感と不安を子どもたちに与えた。この街宣は、かねてより、朝鮮民族への差別意識を発露する機会をうかがっていた被告らにおいて、公園の使用に問題があるとの一通のメールが送られてきたことを奇貨として、これを口実に、ヘイトスピーチを行う目的で実行されたものである。
真に公園の使用に関する問題提起を行うためであったならば、当然、事前に事実関係を調査したり、行政代執行や学校との穏便な交渉等の代替手段を検討すべきところである。しかし、被告らの真の目的は、
・動画配信を通じて一般視聴者の関心をひくこと、
差別意識を拡散させ自らの団体への賛同者を獲得しようとするところ
にあった。この目的を果たすためには、あえて大きな騒動を引き起こして動画に収める必要があった。だからこそ被告らは、意図的に、子どもたちへの悪影響も顧みず、あえて聞くに堪えない過激な街宣とすることで原告関係者を挑発し、騒動が起きているような動画を収録できるような状況を作出しているのである。
その結果、街宣内容は「朝鮮学校を日本からたたき出せ」「北朝鮮のスパイ養成機関」など、公園の使用問題とかけ離れたものとなった。他の街宣活動と同様に、被告らの活動においては動画の撮影及び配信が極めて重要な役割を占めており、他の被告らとの共謀のもと、その役割を担っていたのは被告■(自称中立カメラマン)であった。

被告らの行動原理は人種差別によるものであって、本件街宣を含め、彼らが全国各地の街宣において訴えてきたことは民族差別意識の現れそのものである。表現の自由の行使として許されうるものでは到底ない。
本件各街宣は、被告在特会と被告主権回復のこうした差別拡散・差別扇動活動の「事業の執行」として行われたものであり、参加者に対する指揮命令も機能していた。これらの街宣のうち、12月及び1月の行為は平日に予定され、被告らは授業に支障が生じることを十分に認識しながら街宣を決行したものである。3月28日の街宣行為については、これに先立つ街宣行為差止仮処分が発令されていて、被告らも認識していたにもかかわらず、これをあえて無視するという悪質性も見られた。
被告らによる学校周辺での大音響を伴う街宣活動等の嫌がらせは執拗なもので、今日においても被告らが本件学校を街宣活動の標的と位置づけていることから、再発の蓋然性は極めて高い。今後もヘイトスピーチ街宣が繰り返されるような事態となれば、原告による民族教育実施権を内容とする人格権が修復困難な程度にまで害されることは必至である。他方で、あえて被告らに当該学校周辺において差別扇動な街宣活動等を認める実益はなく、こうした街宣に対する差止めによって民族教育事業を保護する必要がある。

2 原告関係者により証明すべき事実
  (民族教育の重要性及び本件各街宣により受けた損害の本質)

原告側関係者の尋問を通して、原告の実施してきた民族教育の重要性、及び、本件各街宣により深刻な障害が生じたことを証明する。
(1) 民族教育の重要性について
民族教育は、一般に、民族アイデンティティの涵養として重要な意義を有しているが、日本社会における通常の学校では、マイノリティである在日朝鮮人に対して、その出自や歴史にも配慮された十分な民族教育が提供されているとは言いがたい現状がある。このため、本件学校を含めた朝鮮学校は、ここに通学する在日コリアン児童にとって、自らの民族的出自について隠したり劣等感を感じたりすることなく、心から安心できる貴重な教育環境を提供している。そこでは、同じ出自をもち同じ悩みや苦しみを共有できる子どもが集い、指導する教職員らも同じ民族性を共有していて、ありのままの自分を出すことができる。社会の目を気にすることなく、自己の人格形成に専念でき、保護者もまた、朝鮮学校でのびのびと学ぶわが子の姿に勇気をもらう場である。
原告の民族教育事業は、今日の日本社会において、子どもたちの民族教育を受ける権利を実質化するためには極めて重要な役割を果たしており、手厚い法的保護のもとに置かれるべきものである。

これらの事実については、証人■(学校父兄)という教員の視点、朝鮮学校に子供を通わせるアボジ(父)である証人■、オモニ(母)である証人■の父母の視点、それぞれの観点から立証する。
まず、証人■は、本件各街宣当時、本件学校の教務主任であり対応にあたった。自らも朝鮮学校を卒業し、朝鮮学校において教育の実践にあたってきた証人■の証言を通して、民族教育の重要性、とりわけ幼少時に民族的アイデンティティを涵養することが、日本社会において朝鮮民族として生きて行く上で極めて重要な意義を有していることについて立証する。
次に、証人■は、自身が日本の学校に通っていた経験から、民族的アイデンティティ教育の重要性について実感し、自らの子供らを朝鮮学校に通わせて朝鮮学校の中で民族的自尊心をはぐくんでいく過程を間近に見てきた。こうした同証人の観察に基づく証言からも、民族教育の重要性を明らかにする。
さらに、証人■は、差別体験を受けながらも、朝鮮学校に通うことによってこれを克服してきた自己の体験もあって、子供2人を朝鮮学校に通わせながら子育てをしてきた。同時に、本件学校のオモニ会の会長を務めるなどしながら、本件学校子ども・父母・教職員からなるコミュニティの中心人物の一人として、同じ悩みを持つ他の母親たちのよき相談者の役割も担ってきた。こうした経験から民族教育の本質について考察を深めてきた証人■の証言を通じて、朝鮮人としての自尊心を備えた子どもを育てることの重要性とこれに伴う困難さ、及び、本件学校がこうした困難さに立ち向かう親子にとっていかに重要な役割を果たしてきたのかについて、明らかにする。
最後に、専門家証人■(専門家)により、民族教育が現在の日本において果たす役割について専門家の見地から明らかにする。
(2) 損害の重大性
次に、損害の重大性を基礎づける事情として証明を予定する事実は以下のとおりである。
被告らは、虚偽の事実や偏見を折り込みながら学校や朝鮮民族らに対する誹謗中傷を繰り返し、成長過程にあり繊細な児童らの民族自尊心を深く傷つけ、深刻な悪影響を及ぼした。これは、原告の長年の民族教育の実践により得られた教育効果を、その根本から揺るがすような重大な妨害行為である。これに加え、今日に至るまで長期間にわたり、被告らや、被告らの動画に触発された不審者からの嫌がらせなどの懸念から、安全に対する不安を抱き続けざるを得ない状況に置かれている。被告らの行為により、理不尽な攻撃の標的にされる理由が自らの人種・民族にあるのだと、子どもたちが誤認しかねないような状況が作出されているといえる。被告らに反省がなく、挑発的な差別言動が今日においても続いていることによって、こうした状況が継続しているところ、これは原告がその存在意義をかけて実践してきた教育理念の前提を揺るがし、今後の児童らの民族的自尊心の形成を阻害する要因となっている。
今日に至るまでの間、このような悪影響を一定の限度に留めることができているのは、教員、両親を含め、原告関係者らが多大な犠牲を払って、子どもたちの安全確保と、民族的自尊心の維持のために献身的な努力をしてきたからである。こうした事情も無形損害の評価要素として重視されねばならない。

証人■、証人■及び証人■は、平成21年12月4日、本件学校の事件現場におり、被告ら街宣を身をもって体験し、その後の子どもたちへの影響も間近に見てきた。子供たちの安全対策のために、教員、アボジ会、オモニ会は、緊急の会議で協議を重ね、教員や父母は、学校に不審者が近寄らないように、通学路の警備、登下校時の見守りを行ってきた。こうした活動を中心となって支えながら、多数の関係者を巻き込んだ甚大な犠牲のもとで本件学校の安全が維持されてきた実情を間近に見てきたのがこれら三人の証人である。これらの事実について、これら証人の詳細な証言により立証を行う。

そのほか、各証人により立証すべき事実経過には、以下の事情も含まれる。
被告らは、平成22年1月7日、再度街宣を行うという予告をホームページに掲載した。これを受け、証人らを含めた学校関係者は緊急に対応を協議し、予告された14日当日は、課外授業の手配等をすることを決めた。この対応は、ヘイトスピーチに屈して学校を明け渡すかのような印象を与えかねず、民族的自尊心の醸成への悪影響も懸念されたが、それよりも子供たちの心身の安全を重視しての苦渋の判断であった。このため、その後の子どもたちの不安や懸念への対応にも心を砕かざるを得なかった。
さらに、平成22年3月、京都地方裁判所で街宣行為等禁止の仮処分を無視して三度目の街宣が行われた。被告らは仮処分にも反して街宣行為を行い、裁判所による命令すら無視する態度を見せて、関係者や児童らをさらなる不安に陥れたものである。街宣は、本件学校から100メートル地点まで迫った。

被告らのこうした行為により、本件学校における安全感、安心感は大きく損なわれ、原告らの民族教育事業は甚大な損害を受け続けてきたものである。
このような深刻な状況のなか、日本社会の良心の象徴たるべき司法機関が、毅然とした態度で、被告らの行為の悪質性の本質を明らかにすること、原告の教育事業が侵害行為に対して手厚い法的保護のもとに置かれるべきことを宣言することには大きな意義があり、そうすることが裁判所の責務である。
本件審理に照らしていえば、それは損害賠償請求における十分な無形損害の認定であり、子どもたちの安全に対する脅威に対し、差止めを認容することである。
以上





冒頭陳述2
被告らの行為はレイシズムに基づくものであることについて

  

1 サルトルユダヤ人」より
 ジャン・ポール・サルトルによる、以下のような有名な逸話がある(岩波新書ユダヤ人」7頁記載)

   ある若い女は、わたしに言った。
  「わたくし、ある毛皮屋にひどい目にあわされましたのよ、預けておいた毛皮に焼きこがしを拵えられて。ところがどう、その店の人はみんなユダヤ人だったんですの。」
 しかし、なぜこの女は、毛皮屋を憎まないで、ユダヤ人を憎みたがるのだろう。なぜ、そのユダヤ人、その毛皮屋を憎まないで、ユダヤ人全体を憎みたがるのだろう。

   これは、サルトルによる、レイシズムの指摘にほかならない。

レイシズムはどう定義されているだろうか。
(1) 社会科学者ロバート・マイルズ(R.Miles)によるレイシズムの代表的な定義は、以下のとおりである。(Robert Miles, Racism after Racial Relations, London and New York: Routledge, 1993, p.63)
ア 肌の色など恣意的に選び出された特徴を重要な基準として選択し(signification)、
イ この特徴により人間集団をカテゴライズし(racialization)、否定的/肯定的な評価を付与し、一定の人間集団を排除/包摂(exclusion/inclusion)していくイデオロギー
ウ ステレオタイプな他者像(representation of the Other)をともなう。
エ 分類の基準となる特徴は「一般には形質的なもの(例 肌の色、髪の型、頭の形)だが、見てすぐにわかるわけではない生まれつきの現象(例 血統)も重要な特徴として選ばれることがある。」
(2) 人種差別撤廃条約が定義する「人種差別」は、「人種、皮膚の色、世系又は民族的もしくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先…」である。
 ロバート・マイルズの定義よりは形式的であるが、これを包摂するものであることは言うまでもない。
(3) 我々法曹が注意しなければならないのは、この「レイシズム・人種差別」と憲法14条のコメントする「差別」とは同じではないということである。憲法14条の「差別」は、合理的区別を許すものであるが、レイシズム、人種差別は、絶対的に禁止される。つまり、人種差別に基づく差別はそれ自体「不合理」なものとして、あるいは、公序に反するがゆえに「合理的差別」を許さないカテゴリーとして、憲法14条としても禁止されるのである。
3 被告らによる街宣活動等は、政治活動などではない。レイシズムの現れにすぎない。先日の被告A女(街宣コーラをしていた女性)の尋問において、同人は、過去に朝鮮籍の友人にお金を貸したが返してもらえなかった、だから朝鮮人のことを悪く思うようになった、と述べた。これは、まさしく、サルトルの見た「若い女」と全く同じではないか。
 被告らが第一初級学校を襲撃したのは、同校が、グラウンドに私物を置いたからではない。同校が「朝鮮人」の学校だからである。グラウンドの件は、彼らによる一連の襲撃のトリガになったにすぎない。
 彼らの行動は、朝鮮民族というカテゴライズした人間集団への否定的評価を集団で現出することであるから、ことが「朝鮮人」につながりがあれば何でも攻撃の対象となった。デモ隊がパチンコ屋にさしかかればパチンコ批判になるし、グラウンドの問題とは関係のないはずの拉致問題も必ず街宣の内容となった。キムチの匂いについても批判の対象となった。ウトロもターゲットとなった。従軍慰安婦によるデモもターゲットとなった。在日高齢者の無年金問題に取り組む団体もターゲットとなった。朝鮮学校に寄付金を渡した徳島県教組もターゲットとなった。
 朝鮮人に対するマイナス評価は、それが何であれ、真実であろうが虚構であろうが、被告らの恰好の餌食になる。
 被告らによる行為は、まさにレイシズムの定義、人種差別の定義どおりのものである。
レイシズムは、社会の連帯と信頼を失わせる。一定の人間集団を、その集団に属するという理由で憎むものであるから、その行き着く先は、ジェノサイドであり、戦争でしかない。人類にとって良い所は何一つない。
 我々は、20世紀になって、レイシズムを克服したはずであった。ところが、21世紀になって、再び、レイシズムが目に見える形で勃興してきつつあるのである。
 司法は、断固として、レイシズムに対する否定的評価を発しなくてはならない。
以 上