朝鮮学校嫌がらせ裁判の経過と今後の展開

朝鮮学校嫌がらせ裁判が2010年9月に始まり、現在2012年1月で1年4ヶ月が経過した。裁判回数も10回を数え、後で述べるがまだ1年はかかりそうな気配である。
そういう訳で準備書面、出来事も重なり、ここで一度おさらいというか整理をしてみた。




準備書面
まず、裁判がはじまり今まで出された双方の準備書面を乱暴ではあるが内容を整理してみた。(判りやすいように、原告側は漢数字、被告側は洋数字とした)


原告側準備書面      
第一 
総論。民族教育権から始まる朝鮮学校の必要性を訴え、それに対する被告らの加害事実の指摘。
第二
人種差別事件だとの主張。
第三
公園使用の経過。校長起訴への反論。
第四
被告美久氏への求釈明と被告らの逮捕事実記載。
第五
ヘイトスピーチの問題性。
第六
3月28日河原町街宣への言及。
第七
ブレノ氏撮影動画の悪質性への言及。
第八
被告らのヘイト活動への言及。
第九
本件学校の教職員らが対応に要した時間・労力等。
第十
被告第二の在特会の当事者能力反論。損害賠償の請求の法的根拠。
第十一
今までの準備書面の論点整理。
1  人格権としての民族教育実施権。

2  被告らによる侵害行為の内容
原告の民族教育実施権の侵害
1 ヘイトスピーチによる民族教育事業の目的そのものへの阻害、従前の教育効果への影響等
2 虚偽の事実摘示による原告及び学校の名誉権侵害。
3 侮辱的発言による社会的評価の毀損。
4 街宣動画のアップロード。
5 街宣行為の物理的妨害による授業妨害行為。

3  被告らの準備書面に対しての反論。
1「原告は教育基本法及び学校教育法に基づくものではなく」と繰り返し主張すること
2 本件学校の教科書へ言及すること。
3 朝鮮総連朝鮮学校への印象を悪くする言葉を並べ立て、攻撃を正当化しようとしていること。

第十二
「被告らの差別的言動は表現の自由により守られる範囲を逸脱している」との趣旨を法的に言及。
第十三
被告書面で映像では確認できないとされた箇所への指摘。

まず、原告側準備書面の簡単な紹介をしたが、特に原告側の主張の骨格をなすのが、第一、第二準備書面と思われる。第一に関しては当ブログで紹介をしており、第二はその項目の紹介をしている。また、その後の書面も含めての主張の論点を整理したものに第十一書面があるので、そこはスペースをさいた。さらに詳しくはこちらも当ブログで紹介をしているので不親切だが探してほしい。
なお、これは第9回口頭弁論前までの確認なので、その後に出てきたものはわからない。



被告側準備書面

第1
表現の自由、少数の市民的政治活動の正当性。ブレノ、美久、西村父各氏の認否。
第2
在特会はファンクラブのようなもの。事件事実に対する被告側の指摘及び、骨子として、「我々のやった活動は排外主義ではなく、在日コリアン一般を敵視したものではなく、朝鮮学校が行った公園不法占拠を糾弾するという政治目的だ。そして政治目的だから許される。原告のいう民族教育権は一般論としては認めるけども、朝鮮学校のものはイデオロギー教育だという訴え。及び被告名西村斉、西村修平、八木、川東、荒巻、中谷各氏の認否。
第3
仮処分決定の通知について。(被告西村斉、西村修平、八木、川東、荒巻及び中谷各氏の認否の補充。)
第4
被告西村斉、被告荒巻、被告川東及び被告中谷各氏に対する刑事事件判決資料。在特会声明。不法行為に基づく法律構成について(含む求釈明申立)。差止請求について(含む求釈明申立)。
第5
表現の自由についてと原告主張への反論。
第6
原告第一準備書面に対する認否・反論。
第7
原告第二、第三、第六に対する反論。
第8
公正な論評の法理。
第9
被告第6、第7準備書面の補充。
第10
原告第七準備書面への反論。(ブレノ氏の役割への反論)

次に被告側準備書面の紹介をしたが、まず、被告側代理人より「表現の自由」に関する法律論があり、事件そのものの主張の骨格は第2書面で出ており、被告当人からの主張として第4準備書面の「在特会の声明」というのがある。他は各被告らの認否と原告準備書面への反論という形になっていると見られる。第6準備書面までに関しては当ブログで詳細があるので不親切であるが探して見てほしい。
なお、これも原告側と同じく第9回口頭弁論前までの確認なので、その後に出てきたものはわからない。



原告書面要約
まず、言わねばならないのは、原告側である朝鮮学校が求めるものは、それは被告らが振り撒いた嘘、デタラメで落とし込まれた名誉である。名誉回復こそがこの事件の被害救済の根幹をなしている。その落とし込められたものを再び取り戻し、このような事件が二度と起きないようにする具体的なものとして、被告らの主張を全面的に退け、「民族教育実施権を認め、被告らによる侵害行為を人種差別として扱え」としていると思われる。つまり単なる業務妨害、名誉棄損に収まらず、この社会において民族教育権、すなわち朝鮮学校の存在を法的に認め保護してくれというものが一つある。過去においてからチマチョゴリ切り裂き事件をはじめ、今回の在特会らによるヘイトクライムにおいてもずっと連なるものは、この社会の偏見がもたらしたものであり、現在も高校無償化からの除外も含め、絶えず朝鮮学校の存在は脅かされてきた。それを法的に民族教育権として認め保護せよとの訴えは極めて切実なものだ。朝鮮学校に対する偏見にあふれたこの社会において再び被告らのような蛮行が及ばないようにするのは、法による社会正義の行いとしてしごく真っ当なものと言える
次に、人種差別という訴えは、被告らが朝鮮学校であるからこそ蛮行に及んだ事で明らかだ。後で紹介するが被告らがいくら抗弁しようと、事件において、街宣において、デモにおいて、人種的偏見に基づいて罵声を浴びせ続けた事は、その言動を見れば間違いようのない事実である。
以上のように原告の訴えは、訴訟の根本である被害救済の原点に根差したものではあるが、現法下においては、原告の訴えはハードルの高いものとされる。何故なら本来もちうるべきヘイトクライムに関する法律がこの国には未だにないのだ。そのために原告側弁護団の訴えは現法下で成しうる法的な訴えとして工夫され、名誉棄損、業務妨害からの上積みと判決文において、原告の訴えを認めてもらう事に挑戦していると言える。
そういう意味では、普通は名誉棄損裁判において、侵害行為の度合いを反映し、賠償金額になるが、今回の朝鮮学校側は訴えによる賠償金の額よりも、判決文において朝鮮学校を認められる文言が付されるかに重点が置かれている気がしてならない。
つまり、被告らの言質は断じて間違っており、朝鮮学校はまごうことなく教育機関であり、この社会においても存在が認められるべき学校であると。そしてこれは朝鮮学校に通う児童、父兄、OB、学校を支える人々のまさに名誉を賭けた戦いとなっている。


被告側書面要約
被告側の主張としては「我々のやった活動は排外主義ではなく、在日コリアン一般を敵視したものではない。朝鮮学校が行った50年に渡る公園不法占拠を糾弾するという政治目的だ。そして政治目的だから許される。原告のいう民族教育権は一般論としては認めるけども、朝鮮学校のものはイデオロギー教育だ」というもので、事件当日とそれに続くデモ、街宣活動をあくまで「表現の自由」の範囲内であるとするものだ。その上で、自分達は「少数者」であり「少数者であるからこそその意見は保護されるべき」という、誠にもって民主主義の鏡であるような主張が重なっている。そして一生懸命、総連に関する怪文書にも似た証拠を出している。
しかし、先に言うが、被告側の朝鮮学校への「総連と結び付く、北朝鮮賛歌の洗脳教育機関」という実態を歪曲するものは無駄な努力であると思える。そもそもこの一連の朝鮮学校嫌がらせ事件は、被告側の身勝手で無知蒙昧な動機など相手にしてないのだ。ただひたすら被告側の加害責任の重さが図られていると言っていい。その証拠に同じ事件を裁いた刑事事件判決文において地裁、高裁とも被告らの言い分は何一組まれるものはなかった。
同じ事件で民事と刑事の判決は違う場合もあるが、刑事においても被告側弁護を努めた徳永弁護士の「表現の自由」をはじめとする「50年に渡る不法占拠」という言い分はまったく同じものであり、少なくとも事実認定において、事件を裁く構図はそのまま一緒である。そしてここまで説得力ある新証拠があるわけではなく、ひっくり返りようがない。
そういう意味で最初に述べた被告側の「50年に渡る不法占拠」という中傷は既に司法により否定されていると言っていい。(細かな事をいうと、被告側各書面ではこの文言が「占拠」なったり「占有」になったりしている。ここからして被告側の事実無視のいい加減さが判る)
それにしても在日コリアン一般を敵視したものではないというのはどのような根拠で主張しているのか、被告らの日頃のふるまいを見るに理解にとても解せない。この事件だけでも「朝鮮人は人間じゃない」をはじめ彼らが言い放ったあれは何だったのだろう。原告第一、第二準備書面を読めばわかるが、被告らが一連の事件で述べた言葉は差別言質に満ちた文言が満ち溢れていると言っていい。被告書面では、それら、在日コリアン一般を敵視していないという、根拠らしきものが「主権回復の会は外国人によるものか日本人によるものかを問わず反日的活動を糾弾ないし抗議の対象とし、在特会は不条理な在日特権を無くすことを目的としている集団」だからとしているとこに、被告らの訳のわからなさがある。この団体目的というものが、手前勝手に「反日認定」をし、ありもしない「在日特権」なるものを吹聴する被告らの欺瞞性を表しているだけではないか。このような真実性のないものを百万回唱えようと、一連の事件で被告らが振り撒いた差別的言質が在日コリアン一般に向けられたものではないという根拠になるわけがないではないし、むしろ、この欺瞞性こそがヘイトクライムの醜さをあらわしている。
後、これは余談なのだが、被告側書面を通して筆者が思うのは、どうも被告代理人と被告らの主張の乖離を感じるのだが、それはまた別の機会に。


以上、大枠としての双方の主張は準備書面で既に出されたと思われる。後は補足、或いは反論としての追加書面が出されると予想される。



事件検証、証人尋問
次に、現在、裁判は事件の検証と、双方の証人の証言を求める段階に入っている。

第8回口頭弁論において証拠映像検証。
第9回 被告人尋問 美久氏
第10回 被告人尋問 西村父氏、ブレノ氏

それぞれの記録は、これも当ブログにあるので参照にされたい。



今後の展開

第10回口頭弁論にまでに出廷した被告人尋問の3名だが、これは当初から被告側は事件とのかかわりが薄い或いは事件当事者ではないという主張であった。よって、被告側からすれば本人釈明の機会をもつという意味もあり、被告側より申請し最初にもってこられたものと考えられる。問題はここからである。どう見ても首謀者、主犯格が後に連なるのだが、彼らが出廷するのかという危惧がある。被告側代理人はどうも全員を出廷させる気はあるようだが果たしてどうなるだろうか。
先日、大阪に活動のために来ていた自称桜井在特会会長が裁判の事を聞かれ「なんで原告の(朝鮮学校の)元校長がこないのに自分がいかなくてはならないのだ」と訳のわからない事を言っていた。これは被告らの欺瞞的で無責任な態度を象徴するかのようだ。
自分達が政治的活動をしていると主張をしているならば、それはその政治的活動の責任を引き受ける事と同義ではないか。自分らが仕出かした事の責任を放棄しての政治的活動などあり得ない。
また、自称桜井在特会会長は大きな勘違いをしている。裁判とは真実をも明らかにする場だ。駄々をこねるより自らの主張を堂々と述べ、被告書面のようにオブラートに包まれたようなもの言いではなく、日頃行っているあからさまな自慢の弁を語るほうが自らの政治性の信憑性もますだろう。ただし裁判官がどのような印象を持つのかはわからないけど。
以上は、当然、他被告についてもだ。是非にも出廷し思う様を主張してほしい。期待している。

次に原告側の証人尋問なのだが、一応予定として、学校父兄、学校関係者、民族教育専門家、ヘイトスピーチ被害の実態、児童心理ないし児童精神医学等の専門家を用意しているようだ。専門家に関しては恐らく錚々たる人らがやってくると思われ、多角的に原告側の主張の裏打ちと正当性を述べるものと思われる。
ここで、筆者は思うのだが、この事件に関して、加害者が何者であるのかが興味もたれている傾向がある。しかし、この事件で最も見なければならないのは、あの事件の時、校舎内で何が起こっていたか。被害者である原告らはどのような思いでこの裁判に挑んでいるのか。それこそがこの事件の解決の糸口だ。そういう意味で原告側証人尋問は注目されねばならないし、その訴えに耳に傾ける姿勢が必要であると考える。

さて、上記、予想される段取りで、仮に被告側の残り7人が全員出て、原告側が恐らく5人以上となると、裁判はまだまだ続く。早くて、仮に一回で2人が出廷し、一月の一回のペースで進んでなんとか9月の秋である。他にも追加書面の弁論があるかもしれないし、当然、裁判所の都合により日程調整あり延びる場合もある。
どのみち結審は、年内後半から来年にかけてになるものと予想される。
ただし、原告側証人は間違いなく出廷するだろうが、被告側がまだよくわからない。尋問人数がその場合減るならば少し早くなるだろう。