被告準備書面5 前半

筆者近況。
地下鉄で本を読んでいたら、前に「精神病理学のなんちゃらかんちゃら」とかいう難しそうな本を読んでいるおっさんがいたのですよ。で、よく観察しているとスボンのチャック全開。おっさん、あんたそりゃ台無しやなと思ってたところ、私もチャック全開になっているのに気がつきました。読んでた本は「毛利透著 民主政の規範理論」です。はい。
そんな自分にうっとりします。





第一 被告在特会らの政治信条について

1 「きしむ多人種国家アメリカ」(毎日新聞連載コラム)からの引用。(要旨)
毎日新聞は「きしむ多人種国家アメリカ」を連載。平成23年6月25日に掲載された第4回は「『少数優遇』に批判」「『逆差別』判決で非白人採用激減」の副題と見出しのもと、米コネチカット州ニューヘブン市の白人消防士の訴えを論評。
これは、白人消防士らが市消防局を訴えた裁判で、「違法に昇進のチャンスを奪われた。白人に対する逆差別だ」という白人消防士らの主張を大幅に認める判断を下した連邦最高裁の2009年6月の判決で、それによると、白人消防士たちは試験で合格基準を満たしたが、昇進できなかった。黒人の消防士もテストを受けたが合格ラインにいたらず、市消防当局は「白人だけを昇進させると、故意に人種差別をしたと誤解されかねない」と懸念し、試験結果そのものを破棄した。
米国では60年代黒人公民権運動を受け、差別された黒人らに、入学や就職、昇進のチャンスを積極的に与えるように公的機関に促す措置がとられ、これにより60~70年代にかけてニューヘブン市消防局をはじめ、多くの公的機関で黒人が積極的に採用された。
その一方で、白人側からは、個人の努力や能力を無視した「逆差別」という批判が絶えなかった。連邦最高裁は78年、特に州立学校での入試について「人種的少数者のために優先枠を確保するのは違憲」とし、一定の歯止めをかけた。今回のニューヘブン市消防局に対する判決は、さらにこの優遇措置を限定的にした形である。「テストの結果を無視することは許されない」と判断し、少数派人種への配慮は、テスト成績とは別に検討されるべきものだとした。
論評では、少数派を守るための優遇措置について最近「少数派」からも批判が強まっていることを紹介している、白人と黒人、インディアンという複数の人種の血を引くカルフォルニア在住のウォード・コネリーさん(72歳)らは、優遇措置がすべての人々の平等を定めた州憲法に違反すると批判し、住民投票(イニシティブ)を呼び掛けて可決し、州内での優遇措置を撤廃させた。ワシントン、ネブラスカなど4州でも同様の運動が広がり、住民投票で撤廃を決めているという。

2 連邦最高裁ローマー判決とスカーリー判事少数意見
毛利透著「民主政の規範理論」の第4章『国民に直接の決定を求めうるか―アメリカの直接民主制をめぐる議論から―』より。
1992年、コロラド州憲法に次のような条文が付加された。
ホモセクシャルの人々への優遇措置や彼らの差別されたとの主張を許さない」
ローマー判決の法廷意見は、この条文を、合理性審査もパスしない、つまり同性愛者たちの敵意のみに基づくおよそ合理的理由のない差別立法であるとした。これに対し、スカリア判事は、この立法を「文化闘争」の一環であると宣言し、この性道徳をめぐる闘争への裁判所の介入を強く批判した。
スカリア判事によれば、同性愛を道徳的に望ましくないものとする考えには強い伝統があり、今日でも多くの人々がこの考えを抱いている。では、なぜこの時期にこのような憲法修正がなされたのか。それには同性愛者が有する強い政治力が関係している。彼らは特定地域にまとまって住む傾向があり、高収入であり、しかも自分たちの権利拡大に非常に熱心である。それゆえ、彼らは、通常の立法過程において、人数とは不釣り合いに強い影響力を有し、実際それがもとで多くの自治体で「性的傾向」に基づく差別を禁止する条例が制定されていった。つまり、自分たちの性的傾向を保護してもらうために立法による承認を求め始めたのは、同性愛者の方なのである。「本修正が登場したのは、こういう状況に対してである」。同性愛の法的保護に反対する人々は、この問題を州レベルで、それだけを争点として投票にかけることで、真に多数の人々はどう考えているのかを示そうとしたのである。「本修正は、州の全ての市民に対して、直接問題を投げかけた。同性愛者は特別に保護されるべきなのか、と。彼らはノーと答えた。今日の裁判所は、この最も民主的な手続きを違憲としたのである」。「コロラド州民の多数によって支持される性道徳が徐々に頽廃させられるのを防ぐ」ための条文に、「裁判所が介入すべきではない」。
毛利論文は、法廷意見とスカリア判事の間には、問題となった条文の解釈をめぐる争いがあることを指摘している。法廷意見は、この憲法修正により同性愛者に特に不利益が課せられるとするのに対して、スカリア判事は、単に特権的扱いが禁じられるだけだとするのである。しかし、毛利論文は、この解釈をめぐる議論より、スカリア判事が、法廷意見をエリート階級の価値観の押しつけであると断じている点を重視し、米国におけるイニシアティブ(住民投票提案権)が提唱された歴史的経緯とそれが保守派の政治運動に利用されている現状に関する憲法議論について詳しく検討している。
1978年にカルフォルニア州で可決された「納税者の反乱」と呼ばれたラディカルな減税法制定の成功によって、「保守的な利益集団がいくつかの目的を達成するために、イニシアティブやレファレンダムを使用することを助長する」効果を持ち、他州でも減税のみならず死刑宣告や反中絶、学校での礼拝、英語公用語化などの政策実現のために直接立法が積極的に活用されるようになった。カルフォルニア州での不法移民への保障サービス停止や、人権や性に基づくアファーマティブ・アクションの全廃というイニシアティブの「成果」は日本でも話題になった(このことは、先に引用した毎日新聞の連載記事でも取り上げられている)。
こうした動きの背景には、人種等による差別問題は既に解決済みだというレーガン政権の大きな「遺産」があるとの指摘がなされている。レーガン政権は、マイノリティの権利主張を一部集団の『特殊利益』の表明と解釈してよいと公認したという。差別問題は解決済みである以上、現状より多くの権利を求める主張は「特殊利益の要求」と判断されるからである。
被告らは、毛利論文が主たるテーマとしなかった「解釈をめぐる議論」すなわち、ホモセクシュアルの人々に対する優遇措置や被差別主張の禁止を少数派に不利益を課すものとみるか、優遇措置そのものを「特権」とみるかという争いである。そして大方の人々が予想するとおり、被告在特会の政治信条は、スカリア判事がとった後者の解釈を支持するものである。


3 被告在特会の政治信条と街宣活動等について
① 被告在特会在日特権の廃止を目的として設立された市民団体であり、日本国との平和条約に基づき日本の国籍を離脱した者等の出入国管理に関する特例法(入管特例法という)等の在日特権の廃止やこれと同等の国家主権にかかわる社会問題について、種々の市民運動、すなわち、デモ行進、集会、勉強会及び抗議街宣や申し入れ等を行っている。
② 被告在特会の活動の中心的な部分を占める在日特権に関して同被告が他の被告ら(但し、被告西村父、被告美久、被告ブレノを抜く)と共有している政治信条は、すでに在日朝鮮人に対する差別問題は解消しており、彼等が我が国の国民よりも保護ないし優遇されるという状態は、国家主権ないし国民主権を危うくするというものである。例えば、被告在特会の発足の切っ掛けとなった在日無年金訴訟、そしてその流れの中で日本全国の地方自治体で制定された福祉給付金制度は、まさしく日本国民よりも在日韓国人在日朝鮮人が優遇されている現実であると考えている。その他、税金優遇や就学、就職における特権待遇等がある。
③ 本件訴訟にかかる京都朝鮮学校による勧進橋児童公園不法占拠問題について言えば、50年以上も京都市の財産である勧進橋児童公園を不法に占拠していながら、被告在特会と被告主権回復を目指す会が抗議するまで何のお咎めも無く放置され、地域住民から苦情や告発がなされても、市役所は動かず、警察は捜査しなかった。かかる事態は、典型的な逆差別であり、法治主義を蹂躙するものであり、国家主権ないし国民主権を危うくするものであると考え、本件訴訟で問題とされている集会やデモ行進などの街宣活動に及んだものである。
④ 小括
米国連邦最高裁の近時の判決や少数意見そして現在米国各州で広がりつつあるいわゆる草の根保守による各州の住民投票(イニシアティブ)の趨勢について紹介したのは、類似の政治的信条を有する被告在特会の主張が「正しい」ものだということを主張するためではない。被告在特会の政治信条は、わが国の穏健な政治風土において極めて少数にとどまっており、将来もアメリカのように多数派を占めることはなく、その主張が法律あるいは憲法に反映されることがあるように思えない。しかし、将来のわたって少数派にとどまるであろう彼ら彼女らの主張と言論こそが、わが国においても、1つの政治信条に基づく表現行為として保護され、尊重されてしかるべきである。けだし、民主的過程において少数派の政治的表現の自由を保障することこそが、表現の自由が優越的地位を持つとされている理由だからである。
本件街宣活動等における被告らの個別の言動のなかには、社会通念上、相当な範囲を逸脱しているとの非難は受けるものもあるかもしれない。しかし、原告が主張するように被告らの本件街宣活動等全般が差別的言論ないしヘイトスピーチであり、憲法21条の保護の対象外であるというのは行き過ぎた主張である。本件街宣活動等の目的やそこでの相対としての言動は、在日韓国朝鮮人に対する社会的差別ではなく、優遇措置は逆差別であり、国家主権を危うくするものであるという政治的信条に基づくものであり、憲法21条が保障する政治的表現であることは明白である。




この書面を読んで筆者は正直、何を言っているのだ?という感が強い。
まず被告側は、1の毎日新聞の論評で「被差別者(マイノリティ)に対する優遇措置は逆差別がある」と匂わせるものを持ち出し、2のローマー判決に至っては、アメリカのホモセクシャルな人々を持ち出し、あたかもそれが特権階級であるとほのめかし、在特会の主張である、「在日特権」なるもののロジックの補強を計り3へと繋がっている。
もうね、はぁ?としか言いようがない。これら事例はこの国の何処にあてはめられるのだろう。少なくとも在日コリアンが、日本国民をして逆差別とする優遇措置及び特権階級とは何なのか?
その問いに対して在特会側は「在日特権」の具体例として「在日無年金訴訟、そしてその流れの中で日本全国の地方自治体で制定された福祉給付金制度は、まさしく日本国民よりも在日韓国人在日朝鮮人が優遇されている現実であると考えている。その他、税金優遇や就学、就職における特権待遇等がある」を挙げている。
まあ、やっと、在特会のいう「在日特権」なるものの具体例が初めて裁判書面に現れたと言えるのだが、正直、荒唐無稽であり、被告側の性根が現れたと言える。
在日無年金訴訟については、筆者は国の法の不備にあると思うが、それ以前に在特会在日コリアンが訴訟する権利さえ認めないという事なのだろうか。この書面ではそう読める。ここらは「表現の自由」を声高に主張する被告らの身勝手さがよくわかるロジックであると言える。さらに福祉給付金、税金優遇、就学、就職については何を言わんやだ。
もう一度いうが、いったい、この国の何処に「日本国民よりも在日韓国人在日朝鮮人が優遇されている現実」があるのだろうか。筆者は在日韓国・朝鮮人が冷遇され差別といえる扱いを受けた事例・証言は山のように聞くが、日本国民よりも優遇されている事例は聞いた事がない。
是非、具体的に資料、根拠に基づく「現実」について語ってほしい。筆者は何回も言うが裁判記録において、被告側のこのような言説の「証拠」というのを見た事がない。
それもなしに書面を提出しても、裁判では「妄想」と処理されるのは仕方ないのではないだろうか。
さらに、今更言うまでもないが「勧進橋児童公園の50年に渡る不法占拠」とうのは刑事裁判判決においてこの言質は侮辱であると認定されている。つまり根拠のない嘘という事となる。被告らはその「嘘」を何時まで吹聴するのだろう。また、一地域一学校の単なる公園使用を「国家主権ないし国民主権を危うくする」とはどんな誇大妄想なのだ?
何故か「世界征服のために幼稚園のバスを襲うショッカー」というものを想起したではないか。
はやい話がマンガである。
そして、最後の小括が、これがなんとも。徳永弁護士はここで見事に、以上は在特会側の意見で自分はそうじゃないと切り離している。その上で在特会の言い分は「正しい」ものと主張するものではなく、少数意見として扱い保護しろとのロジックをよういてる。
被告のみなさん、これ気がついてますか?貴方方の選任の弁護士は貴方方の主張を正しいとは思っていないのですよ。徳永弁護士はあくまで「少数意見の保護」という観点から「表現の自由」を訴えているのですよ。わかりますか?

(被告側準備書面5 後半に続く)



本日のグルメレポート
大阪・京都から少し離れて、兵庫明石駅通りを超してすぐ。明石焼きの「よこ井」。汁につけて味わうタコを入れてのだし巻?違うな。ともかく明石焼きはここ。お勧め。